時は1970年代、当時アメリカではコルベットに代表されるFRPによるボディメイキングとそれに伴うリペア技術が確立されており、これに強く惹かれた代表 西脇は当時修行していた鈑金塗装工場を辞して単身デンバーに渡った。現地で数年間FRPボディメイキングを学び、帰国後キリーフィッシュを開業した。
1980年代初頭、日本のオートバイシーンはレーサーレプリカ前夜であった。そこでキリーフィッシュではいち早く雑誌で見るようなGPレーサーを再現すべくカウルやシートを製作、ストリートにTZ500やYZR500のレプリカを送り込んだ。
耐久レーサーのイメージを再現するため当時まだなかったエアプレーンフィラーキャップに本物の航空機用を用い、アルミを挽いてエアベントチューブを取付けるなど、「なければ作る」精神でGSXの耐久レーサーを再現した。
今も新車が入手できる奇跡のスタンダード、ヤマハSR400。80年代はレーサーレプリカとしてのカスタマイズ依頼が多く、当社はFRP製作やペイントに加えコンプリート車両の製作も行っていた。この画像はSRをベースに純正タンクがFRP製だったDUCATIイモラを目指して製作中のショット。
当時まだFRPパーツやカスタムペイントはポピュラーではなく情報を得る手段も未発達な時代であったが、やがて口コミにより日本中からありとあらゆる車種が持ち込まれるようになった。写真はイタリアのビアンキ・ガルデナ75とカワサキW3。
1998年からレース活動を開始、もて耐には鹿児島から栃木という遠征ながら第一回から3年連続出場した。
続けて鈴鹿8耐には5年連続参戦し、総監督を務めながらレースにおけるタンクやカウルのノウハウを身につけた。
カスタム黎明期から常に先端技術を追い、学び、身につけ、このノウハウをもってバイク界に貢献できることは何か。その自問に対して導き出された回答は「純正復刻タンク」であった。第一弾として製作したW650用のW1レプリカタンクは今や販売実績100個を超え、現在も作り続けられている。
一般的にFRPタンクは強度において不利とされてきたが、KILLI FISHでは独自のシームシーリング技術でこれをクリア。絶版となり腐食が進んでレストア不可能となった名車達のタンクをFRP技術で甦らせる事業が現在の主業となっている。
現在あらゆる手工業で深刻な問題となっている次世代への技術伝達。キリーフィッシュは後継者の育成に力を入れ、40余年脇見もせず精進を重ねて培ってきた技術や精神を次の世代に引き継ぎたいと考えている。